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カンボジアの英雄-中田厚仁さんに憧れて-

ちょく@東南アジア
  • 2019/09/07 00:00
  • カンボジア
  • 営業,企画・マーケティング,新規事業
  • インターン中

皆さん、こんにちは!ちょくです。

 

今日は、お仕事がお休みで、たっぷり休養を取ることができました!!

 

おしゃれなカフェに来て、やる気マックスです!!

まだ、フルに1週間を過ごしていないので、メリハリを付けながら、今後も頑張りたいと思います。

 

今日は、私がカンボジアでのインターンシップを希望した理由の1つを紹介したいと思います。

 

 

カンボジアは今では、目覚ましい発展を遂げ、数世代に渡って作られた世界遺産などを訪れるために多くの観光客が訪問しています。

 

 

しかしながら、1975年から、カンボジアは王国始まって以来の悲しい時代、ポル・ポト時代を迎えることになります。知識人と呼ばれる人々が次々と大虐殺され何百万人が虐殺されたと言われています。その名残で今でもカンボジアには年配の層が極端に少なく、子ども達が極端に多いというのが現状です。

 

 

 

カンボジアが激動の時代に突入し、多くの方が命を落としていた中、一人の日本人が、カンボジアに任務に就くことになります。

 

 

それが、中田厚仁(なかたあつひと)さんです。

 

 

中田厚仁さんは、1993年カンボジアの総選挙に国連選挙監視ボランティアとして参加し、当時、まだ情勢が不安定であり、ポル・ポト派が多く存在すると言われていたカンボジアの村々に赴き、民主主義の大切さを訴えていました。

 

英語を駆使して、村々を回りカンボジアの人々に選挙を通じて、自身の意見を述べていくことの大切さを訴えていました。

 

しかしながら、選挙目前に射殺され亡くなりました。25歳の若さでした。

 

私はこのとき、生まれていませんでしたが、様々な文献を見て、中田さんが若い人たちに「国際協力」という言葉を浸透させたことがわかりました。

 

そして、中田さんの想いは、カンボジアの方の心にも確実に届いていました。

 

中田さんの四十九日の法要の日に行われた総選挙で、中田さんが命を懸けて奔走した活動地域の投票率はなんと99.9%に上りました。

 

その後、厚仁さんの”アツ”の名が付けられた村や学校が作られました。

 

私も、その場所を訪れ、実際にナカタアツヒト小学校・中学校に訪問しました。

 

私がついたころ、ちょうど下校時間だったそうで、大勢の子どもたちが元気よく校門から出てきました。笑顔に溢れた生徒や、友達とじゃれ合いながら出てくる生徒、見知らぬ人がいるのでじっと指をくわえて私を見ている生徒…

 

 

約20年前まで、ここが非常に危険な値域であったことなど、信じられないくらいとても穏やかで温かい雰囲気に包まれていました。

 

中田厚仁さんが、命を懸けて残したメッセージは、このような風景を守り続けていくことであると感じました。

 

私は、ただのミーハーに過ぎませんが、この人に生き方に惹かれたこともあり、カンボジアでのインターンシップを強く希望しました。

 

同じ地で、カンボジアの方と一生懸命仕事を全うし、会社に貢献したい!と…




「この世の中に誰かがやらなければならないことがあるとき、僕はその誰かになりたい」

 

中田厚仁さんが、生前言われていた言葉です。

 

私の座右の銘でもあります。

 

自分はまだまだちっぽけで、ときにつまづくこともありますが、彼のメッセージを思い出しながら、頑張りたいと思います。



______________________________

彼の様子を伺える動画やNHKのクローズアップ現代+の記事があるので、詳しく知りたい方は、そちらをご覧ください。



カンボジアの民主化のために生きた若者 中田厚仁

 

https://www.youtube.com/watch?v=N0zop5v3XO8

アツが教えてくれたもの ~ある日本人青年の生きざま~

https://www.nhk.or.jp/gendai/articles/4169/index.html

 

 

ちょく@東南アジア

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