TOP/海外インターン体験談(タイモブログ)を読む/日本の体験談:よりカオスな環境を創り上げる未来を。タイガーモブ代表菊地恵理子
さて、前回の記事ではこのインタビューを始まることとなった発端について取り上げました!
いよいよ今回からタイモブの魅力の核心に迫っていきたいと思います!
第1弾は、タイガーモブの代表である「菊地 恵理子」さんです!
高校生インターンとしてタイモブに1月からジョインした中川原びしんがインタビューを務めさせて頂きます!
宜しくお願いします!
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〈基礎プロフィール〉
本名:菊地 恵理子
出身:三重県四日市市
兄弟:兄と姉を持つ三人兄弟の末っ子
三重といえば伊勢神宮
〈 経歴 〉
関西学院大学総合政策学部卒。
新卒で株式会社ジョブウェブへ入社し、採用コンサルタントとして営業を担当。
2年目で国際事業開発部を起ち上げ海外インターン事業「AJITORA」を始動。
約600名の海外送り出し実績を経て、独立。タイガーモブ株式会社を立ち上げる。
ここからは、菊地さんの学生時代から現在に至るまでを体験談とともにインタビューしていきたいと思います!
1年間大学を休学し中国で過ごした学生時代
(写真:オーストラリアから着ていたインターン生と。話す言語は中国語。)
ーー初海外はどこだったんでしょうか?
初めての海外は中学生の時に行ったセブ島ですね。そのあとは、家族旅行で中国に行きました。
そこで、大連へ留学していた兄がタクシーの運転手と中国語で流暢に話しているのを聞いてすごいな!
って思って中国語に興味持ち始めたのを覚えてます。
それがきっかけで、大学では中国語を履修し短期で留学にも行きました。
でも、短期だとなかなか中国語をマスターできず、なおかつ日本人が多い環境下では留学に
きている意味がないなぁーってすごい感じて大学4年生の時に1年間休学をして中国へ飛び立つことにしました。
これが、学生時代の中ではかなり濃い時間でしたね。
ーー休学中の1年間はどんなことをされたんでしょうか?
休学中は蘇州大学へ半年間留学して、その後上海の外資系五つ星ホテルで
通訳・翻訳・VIP対応として半年間インターンシップをやりました。
蘇州では、とにかくいろんな国の友達とつながる機会が多いので、こんな人達がいるんだとか
こんな事考えているんだって知って視野が大きく広がりました。
留学中はとにかく中国語を徹底的にマスターすることに集中してましたね。
インターン時代は、実践的に中国語を使うのにはどうすべきかを考えつつ、
人脈を広げるために色んな場を見つけては飛び込んでそこからまたたくさんの方を
紹介してもらうことを繰り返す日々でした。
とにかく、自分から働きかけて毎日学びながら、中国の生活で感じるカルチャーショックを
日々楽しんでいたのを覚えてます。
奇跡の繰り返しの一人旅 ”kikutrip”
(写真:カンボジアにて。ちゃんとこの頃から虎柄のTシャツを着ていたらしいです。)
ーー中国から帰国してからはどんなことをしたんでしょうか?
帰国後は、就活をして内定をもらえることができたので大学を卒業するまでの間、
世界を旅をする事にしました。これが、名付けて“kikutrip“というものです。
ーーその“kikutrip“をしようと思った理由はなんですか?
純粋に、留学先やインターン先で出会ったいろんな国の人たちにもう一度会いに行きたいと思ったからです。
そして、学生時代に出会った人たちの価値観や生き方の裏側にある文化・環境とは一体どんなものなんだろうと
疑問に感じ、それを自分の目で見るために旅に出ることを決心しました。
中国留学の時も留学だけじゃ物足りない!
と思って企業でインターンすることを決めたのですが、今回も正直友達を訪ねるだけだと物足りない!
もっと面白いことがしたい!と思い、バックパックを背負いながら、各国の国旗にサインをもらい、
行く先々で出会う人たちのモットーを聞くという人の価値観などに向き合うスタイルにする事にしました。
ーー“kikutrip“を振り返ってみてどんなことが印象に残っていますか?
やっぱり、行く先々で出会う彼らにモットーを聞くことで、
どんな人なのかがすぐわかるしもっと詳しく聞いて見るとその人が考えていることや、
これからやりたいことがなんとなく理解できていくのがわかっていくんです。
そして、その国の国旗に名前を書いてもらうことで仲良くなるし、
お互いどんどん楽しくなっていくとその雰囲気が周りにも伝染してどんどん人が集まるような旅でしたね。
純粋にとっても楽しかったです。
ーーどんな地域に行かれたんですか?
“kikutrip“は韓国をスタート地点として、そのあと船で中国に渡って、そこから南に下り、
第二の故郷である蘇州・上海に行き、飛行機でシンガポールに渡り、
そこからは陸路でマレーシア、タイ、ラオス、ベトナム、カンボジアを巡り計8カ国を3ヶ月かけて旅しました。
その先々でのエピソードは本当にワクワクするようなものばっかりで、
今振り返ってみると本当に奇跡的な出来事の連続だったと思います。
ーー“kikutrip“で起きた奇跡とはどんなものなんでしょうか?
“kikutrip“を初めて序盤の方で起きたことなんですけど、韓国から船で中国に向かって青島駅に着いた時に、
どこへ向かうか迷っていたら、急に中国人のおじさん2人(この時はまだ知らなかったけど、
某大手日系車メーカーの中国の偉い人だった)に話しかけられてしばらく話してると、車に乗ってけよ!
となったので、
いろいろと自分の直感を信じてついて行ったら、まずは空き地で工場建設について議論し、
その後円卓にたくさん豪華な料理が並んだすごい会議みたいな所に着いて、偉いさんと思われる方々が
沢山集まって、なぜかバックパッカーの私はそこに参加することになったんですよ…。笑
まるでプチインターンです。
そして、しばらく話を聞いてると全員その大手日系車メーカーのすごい人たちだと分かって、
その後も、5つ星ホテルに泊まる予定の方がいなくなったとのことで何泊か1室まるごと頂けたり
一緒に山登りしてくれたり、プレゼントに上海行きのフライトチケットまで貰ったんです。笑
(嘘みたいですが、やましいことは一切ありません!!!)
その他にも、韓国で別のゼミが参加しているビジネスコンテストに飛び入り参加したり、
マレーシアペナン島で家族に拾われ、街中を説明しながら回ってくれたり、
絵描きのスイス人や陽気なイタリア人たちと半月くらいベトナムを旅したり、
kikutrip最後の日はカンボジア国王の誕生日で花火が打ち上げまくられてそれ見て泣いたり・・・
こういう奇跡や出会いが常に目の前にあるのがバックパッカーの魅力だと思います。
基本的にはノープラン、頼りにするのは地球の歩き方(東南アジア編)の白地図と
旅人や現地人からの口コミ情報。
バックパッカーと聞くと、「え?危ない!!」
とよく言われますがやって見ると結構楽しいし勇気が必要に見えるけどそんなこともないんです。
現地で感じる「は?」とか「え?」というものからくるカルチャーショックが、
自分の常識は普通じゃないという事を教えてくれていて、留学時代に感じたことや自分が知っている
範囲ってこんなに小さいんだって何度も感じました。
そんな感じで、現地での生活を日々味わいながらいろんな人に出会いながら仕事できた最高だなあ
と思ってたのですが、その時の想いを現実にしたのが、後の「バックパッカー営業」です。
海外インターン事業「AJITORA」の始動
ーーAJITORAができた経緯とは何なんでしょうか?。
AJITORAの原点は、入社1年目にたまたまご褒美でインドに行った時にあります。
初インドの感想は、「まじでカオス!!!」
30秒に1回はギャップを感じていて、「え?そんなことするの?」、「え?どういうこと?」
というのを日々感じてました。
そんな日々を、当時の上司と過ごしていて、ある時オートリキシャに乗りながら、
「こうやって日々ギャップを感じながら仕事できる事業があればいいですよね」
なんて2人で言いあってたら、そのあと有り難いことに本当に海外事業を立ち上げる機会が出来たんです。
事業を開始して最初に実施したのが、いまやタイモブ名物にもなっている”バックパッカー営業”。
名前の通り、バックパックを背負いながら、時にはスーツに着替えながら、
いろんな国の様々な企業に出向くというスタイルの営業です。
当時の私は、初めてのバックパッカー営業を直前に控えてすごいテンションが上がってて、
何日にどこに行くと言うことを事前にFacebookで告知しまくり、最初1週間のアポをとにかく
知人からご紹介頂きスケジュールで埋めてました。(今もテンションや行動傾向に変化はないですが・・・笑)
その後は、訪れた企業先でおすすめの企業さんを紹介をしてもらったり、電話は持っていないので、
メールを送りまくりながら日々アポを入れつつ営業していました。
”バックパッカー営業”という、斬新な言葉で企業にアピールすることで企業は面白く感じてくださり、
当日にアポが入ることもよくありました。本当に有り難いです。
タイモブに関わるみんなと一緒にタイモブを創っていく
ーータイガーモブができるまではどんなことがあったんでしょうか?
AITORAを運営し始めて2年が経った頃、私の中には色々葛藤がありました。
アジトラに関わる毎日は、すごく楽しくて大好きだし、優しく見守り、
応援してくれる会社の方々にも感謝の気持ちでいっぱいでした。
でも、一方でいち事業として、いちサービスとしてもっと成長したいという思いもあり悩んでいました。
また、良いユーザーもたくさん集まってくださり、
「リーダーになってこういうことしたらいいんじゃないか」
ということを打ち出したり実際にお話する中で、自分はまだいち事業部のリーダーであって、
覚悟もって旗を立てられていない。それでは説得力が無いし、生き様で語れていないのではないと思い、
たくさんの方々の応援・サポートのもと、起業をする決心をしました。
そう決心してからも様々な葛藤がありましたが、日々学び、多くの方に助けてもらいながら
タイモブ創業への道のりが始まりました。
ーー菊地さんから見たタイモブってどんなものなんでしょう?
タイガーモブとは個が集結したものであって、それぞれが常に挑戦している。
だから、私も仕事をしていてもっと挑戦しようと思うし本当に楽しい!
そしてこの姿を見てまた他のメンバーも挑戦しよう!と思うきっかけになれば嬉しいです。
あとは、タイモブはまだ完成されたものではないので、これからもタイモブに関わってくれる
みんなと一緒に創っていく、という感覚で会社を運営しています。
それがみんなにとっても挑戦になり面白い!楽しい!と思えるものだったら
なおさら最高なんじゃないかなと思います。
よりカオスな環境を作りあげている未来
ーー今の自分からこれからの自分へ言葉を送るとしたらどんな言葉を送りますか?
よりカオスな状態に。
ただカオスな環境に身を置くのではなく、、自らがカオスな状態を作り出していくということを
大切にしながら生きていてほしいと思います。
変化というのは、一時は苦しいかもしれないけど、やっぱり振り返ると”変化”は素晴らしい。
「意味わかんない、何これ(笑)」
と言いながらも受容して変化を楽しむ毎日を送っててほしいな、未来の自分!!
ーーありがとうございました!!
〈 菊地さんへのインタビューを終えてみて… 〉
菊地さんの価値観には、学生時代に世界を歩いた経験が大きく影響しており、
現在もこれからも当時のように毎日の発見を楽しんでいると語ってくれました。
どんな時でも、挑戦を楽しみ周りを巻き込んで行ける菊地さんそのものが、
タイモブの魅力となっているんじゃなかなと感じました。
きっとそういった姿勢が、タイモブユーザーの皆さんにも伝染していてこれからもっともっと
タイモブの中のコミュニティは面白くなっていくなと思いました!
次回は、「古田 佳苗 編」です! お楽しみに!!
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