TOP/海外インターン体験談(タイモブログ)を読む/インドの体験談:【インタビュー】THE 修行。西岡功貴さん
こんにちは。タイモブ草野です。
今回お話を伺ったのは、インドでのインターンを経験した、西岡 功貴(にしおか こうき)さん。
私草野がインドでインターンをしていたときの先輩であり、ムンバイを駆け回っていたときのバディでもあります。
大学4年生、もらった内定を蹴ってもインドに挑戦することを選んだ西岡さん。その根底には「本当にこれでいいのか」という強烈な自信のなさがありました。
そんな西岡さんが選んだ道の、これまでとこれからについて、体験談のようにまとめています。どうぞ。
※西岡さん(右)とインド人(左)
「インターンシップ前①:とことん何かに打ち込んだ経験がなかった」
僕はこれまでの人生で、所謂体育会系と呼ばれるような厳しい競争環境に身を置いて生きてきたわけではありません。僕にとっての、人生最大の努力を持って望んだ挑戦は高校受験でした。好きなことはあるけど、何か燃えるように何かに取り組んだこともない。そして、一見、自分に自信があるように見えて、自信がない。自分の価値はなんなんだろう?強みって何なんだろう?コミュニケーション力が高いと言われるが、それは表面上の付き合いに限り、人と深く関わることが苦手だったり、人にそこまで興味がなかったりしました。結構ダメダメですよね 笑
「インターンシップ前②:本当にそれでいいのか?という問いに対する答えが、海外インターンシップだった」
そんな自分に自信がないから、自分を守るために周囲の目や世間体を気にして、自分のやってみたいこと、やらないと後悔すると思ったことから目を背け続けてきました。でも、やってみたいことへの強烈な憧れとそれをしない現状の自分のGAPは広がるばかりで、毎日そのことばかり考えてしまう。何をしても満足感を得られない、そんな日々が続きました。
そんな状態で、いざ就職を間近に控えた時、思いました。「本当にそれでいいのか?」
そう思った時、本当に選ぶべき選択肢は何かを考えました。唯一ずっと好きだった「英語」を活かせる仕事をしてみたくて、海外で働いてみたい。きっと、本当にやりたいことから目を背けたら、この先もずっと後悔しながら、そして目を背け続けるんじゃないか。そう思って、すでに決まっていた内定を蹴って、20代という一番失敗できる時に、すべてを捨てる覚悟で外に飛び出しました。僕の人生初の大きな決断でした。
「インターンシップ前半①:一生懸命努力している(つもり?)」
だけど、それだけではダメだったんです。本当に何も上手くいかなかった。慣れない環境、全く文化の異なるインド人に四苦八苦し、「何で上手くいかないんだ!」と思う毎日。
英語はある程度話せるけど、それだけで上手くいくはずもありませんでした。だってそうですよね。インド人と英語が話せたら商談上手くいくの?そんなわけない。英語を話せるかどうかなんてそんなに大事じゃなかったんです。
僕がしていたことは、提案書をみればわかることを、機械のように紹介するだけの、拙い英語を話す営業。(もちろんそんな自覚なく、一生懸命しているつもりでしたが、、)こんな営業をいつまでしていても、自分も全然楽しくないし、相手も全然乗り気になんてなってくれない。でも、僕はそれを「インド人は嘘つきだ」、「何で連絡するって言って誰も連絡返さないんだ。」、そう思って自分の非を認めようとはしませんでした。
「インターンシップ前半②:過去最低の結果、自暴自棄の結果。」
案の定、営業成績は過去のインターン史上最低を叩き出し、ただでさえ、ほぼ毎日1日中働くような日々(本当に「1日中」です笑)で、体力的に辛く、一人でデリーの営業をすることに孤独を感じるのに、営業成績のことで社長からは毎日激詰めされ、インド人のいい加減さに腹を立て、完全に自信を失っていました。日本にいるときには、周囲から褒められていたコミュニケーション力とやらも一ミリも歯が立たず、20年かけて積み上げてきたものが全て壊れ、まるで自分はこの世界でもっとも価値のない存在かもしれないとさえ思っていました。そしてついに、自暴自棄になって空回りし続けた結果、あるクライアントと大問題を引き起こし、会社・社長に大損害と大迷惑をかけてしまうことになりました。
「インターンシップ前半③:一つだけ決めていたこと」
その頃は、見た目もかなりげっそりし、精神的にもかなりダメージを受けていて、本当にやめてしまいたいと思うばかりでした。でも、そんな中でも、何でやめなかったの?ってよく聞かれます。親にも日本にいた友人にも、頑張ったんだから、もういいから早く帰っておいで、と言われていました。
僕が途中でやめなかった理由は、一つだけ決めていたことがあったからです。それは、「社長に帰れと言われるまでは、絶対に途中で自分から帰らないこと」です。それだけは守らなければいけないと強く思っていました。
「転機①:自分の可能性を信じてくれた社長の存在」
先の失敗で、あまりにもショックが大きすぎて、立ち直れず、社長に「これ以上、会社に迷惑をかけたくないのでクビにしてください」とお願いしたことがありました。でも社長には、「会社にとって迷惑かどうかは、俺が決めることや!お前はやるべきことをやれ!」と一蹴されました。その時、自分の可能性を諦めている自分を見捨てずに、何とか僕が上手くいくようにしたいと思ってくれている人が一番近くにいたことに気づきました。そして、この人に恩返ししたいと思うようになりました。
そんな状況が続く中、半年ほど経ち、インドでのビザが切れ、スリランカにビザ更新に行くことになりました。さてみなさん、スリランカってどんなイメージがありますか?僕は何のイメージもありませんでした(笑) 全く未知の世界でしたが、行ってみてから、あることに気づきます。
「あれ?スリランカ人、日本のこと知ってるんだ、、でも、自分はスリランカのこと知らないなあ」
不思議でした。自分はスリランカという国、スリランカ人のこと、全然知らなかったのですが、なぜかスリランカ人は日本や日本人のことを知っています。そして、見知らぬ自分を村に泊めてくれたり、とても温かく迎えてくれる人が多かったんです。その理由を考えた時、あることに気づきました。日本企業が現地にあるからです。そしてそこで働く日本人がいます。
それまでは、当たり前のように日本は世界で有名だと思っていましたが、どうしてそうなったのか、までは考えてきませんでした。結果だけを見れば「スリランカでは、日本、日本人のことは良く知られている」ということになりますが、そこに至るまでは、現地で自分と同じように苦労して、そのブランドを広めていった企業やそこで働く人たちの努力や誠実な姿勢の積み重ねがあるはずだということに気がつきました。そのおかげで、日本・日本人に対して良いイメージがあるのだとも。
よく、シバンスでは成果を出すにあたって「ウルトラCはない」と言われます。
それはつまり、何か成果を生み出すにあたって、近道は存在しないということです。小さな努力の積み重ねが、成果を作り上げていくのです。僕はそれに気付きました。
「転機②:自分に置き換える」
シバンスで働く中で、事業を運営するために、いかに多くの人の努力が必要か、いかに多くの苦労を重ね、一見不可能とさえ思える困難を超える必要があるのか、ひしひしと感じました。それを歴代インターン生達が積み重ねてきて、今のシバンスというブランドがあるのだと理解しました。
その中で、僕がするべきことは、過去の努力を未来へつなげていくことでした。次は、自分がシバンスの歴史を繋いでいく、そういう気持ちで仕事をするようになりました。今の自分のメール一通が、未来の何処かで受注に繋がるかもしれない。目の前のクライアントとどうやって向き合っていくのか、真剣に考えるようになりました。
※インターンシップ先の仲間たちと
「インターンシップ後半①:自分のやりたい仕事のあり方」
クライアントにとってのオンリーワンってなんでしょう?
インドには本当に多くの経営者がいます。誰もが成功を夢見て、何か自分の大切にしていることを実現したくて、その店を営んでいます。どうして彼らはそのサービスを実現したかったのか、どんなストーリーがあるのか、そのサービスを通じて何を表現したいのか、興味を持つようになりました。
そして、そんな彼らが、日本人に興味を持ってくれている中で、彼らの夢を自分が聞き、その夢が日本人に一番伝わりやすいように広告を作り、日本人に届けることが自分の仕事なんだと思うようになりました。自分の仕事は、彼らのこだわりや素敵な魅力を表現することができる素敵な仕事なんだ。と感じるようになりました。そう感じるようになっていくと、いつの間にか、自分と彼らだけのオリジナルを一緒に作りましょう、と、そんな提案をするようになっていました。そして、「お前とやりたい」と言ってくれる人にもたくさん出会えるようになりました。そして、いつしかデリーやデリーで出会った人々、それからシバンスのことも好きになっていました。
「インターンシップ後半②:気づけば任期も終わっていた」
気づけば、僕はインターン生の中ではデリー滞在期間最長となり、後輩もたくさん出来ました。激しい勤務に、毎日アクシデントしか起こらないデリーでのインターン生活は、来た当初の苦しい時期は、永遠に感じましたが、インターン後半からはあっという間でした。帰る間際には、一度契約が切れてしまってから、なかなか戻ってきてくれなかったクライアントから、「こうきと一緒に働きたいから、戻ってきたんだよ」と言ってもらえ、本当に嬉しかったです。クライアントが継続してくれたのは、これまでのシバンスのブランド力やシバンスメンバーの積み重ねのおかげでしたが、そこに自分も貢献できたこと、自分がたくさんのオーナーさん達から信じてもらえ、一緒に働きたいと言ってもらえるようになれたことが本当に嬉しかったです。
※デリーのインターン仲間との一枚
「インターンシップ後①:インドで働くということ」
目の前で起こる全てのことは、自分が今まで積み上げてきたことの結果です。良いことを積み重ねれば良い結果がにつながり、良くないことを積み重ねれば良くない結果につながります。自分がどこかで手を抜いてしっかりとクライアントと積み上げて来なかった事実は、後でクライアントにそっぽを向かれるという事実を容易く引き起こします。インドでのビジネス限定かはわかりませんが、たとえ契約書を書いても、やりたくないと言い出せばなかなか手がつけられません。そして、それは僕がひとえにクライアントと向き合って来なかった証明でもあるのです。つまり、自分の責任です。
その一方で、彼らと素敵な関係性を築くことができれば、この上なくスムーズに物事が進むこともあります。自分の感情にとてつもなく素直な彼らと接するからこそ、僕は、自分ができていないことをいつも自覚して歩み続けることができました。
「インターンシップ後②:終わってみれば周囲も認めてくれた」
怒涛のインターン生活を終え、日本に帰って見て、特に一番に変化があったのは家族の反応です。このインターンを終えてから、「あなたが行きたい道を歩みなさい。あなたなら大丈夫」と言ってもらえるようになりました。親はもう、僕の人生の選択を心配しなくなりました。
言葉では、なかなか伝わらなかったけど、全てを投げ出してチャレンジし、何かをものにできたとき、一番側で見てくれていた人は安心してくれるようになるんだなと、実感しました。逆に言えば、今まで自分はどれだけ積み重ねてきていなかったのか、ということの証明なのだと思います。
「帰国、そして就活:マイナーな方向へはマイナーなオファー(競争からの離脱)」
日本帰国後、新たな仕事をするために活動を開始しました。大学を卒業済で、2年目ともなると、もはや新卒としてはみなされず、中途採用となるかと思いきや、インターンシップというものは、中途採用とみなされませんでした。個別に何社かアプローチしてみましたが、企業の採用システム自体に枠がないので採用できないとのことでした。インドでの壮絶な体験のおかげか、不思議と不安はあまりなく、やりきれば何とかなることは分かっていたので気にしていませんでしたが、個人を見る前に、採用システムに通らないから採用できませんって、何だそれ?という感じでした(笑)
そこで、インターンを仲介してくれていたジョブウェブに相談したところ、就職支援をしていただけることになり、僕がそれまで知っていた「就活」とは全く色の違う「就活」をすることになりました。やはり、「インド」「仕事(インターン)」「内定辞退」「10ヶ月滞在」と言うキーワードは強烈のようで、然るべきアプローチを経ると、多くのオファーをいただくことができました。完全にアウトローな生き方をしましたが、それくらいの気概の奴が欲しい、と思ってくれる方も多かったようです。
ここで一つ面白かったことは、メジャーな競争からの脱出が出来たということです。今までの就活はどちらかというと「自分⇨企業」へのアプローチと言う構図でしたが、「企業⇨自分」という構図を経験しました。自分に主導権があり、基本的には面接というよりも全て面談で、お互いに、自身の文化が合うかどうかを擦り合せる、といったスタンスでした。その結果、10社以上からオフォアーをいただき、そのうち内定は5社(その他は選考辞退)という結果になりました。どの会社でも働いてみたかったものの、最終的にはその中で一番自分が選んでみたい道を妥協せず選ぶことができました。あの時、内定を辞退してインドへ飛び込んでいなければ得ることの出来なかった選択です。「インドへ飛び込んで、何をしたのか」それを、相手に分かってもらえるような成果をあげること。言葉だけでなく、実行力、そしてそれに伴う成果を上手く示せたこと、それが上手くいった理由だったと思います。
※インターン仲間との一枚
「まとめ:これで終わりじゃない、これからやりたいこと」
インドでのインターンシップ、日本での就活、この2つの経験は僕の人生の中で起こった特に面白いこと 且つ、他の人があまり経験しないことかと思います。これらを得るために自分がとったリスク(僕的にはリスクと思っていませんが)と行動の結果だと思います。不思議と、それを体験してみて、自分の一度きりの人生ならば、もっとこういう面白いことをどんどんしていきたいと思えるようになりました。いつでも目的を持って、本当に欲しいものを得るために、どの道を選んでいくのか、どの道を残していくのか、自分で判断しながら、人生を豊かにしていきたいと思っています。
「終わりに:やりたいことへの第一歩目を踏み出すか迷っている人へ」
一つ、思うことがあります。常識や当たり前って、誰が決めたんでしょうか?
その常識に従うはあなたにとって正解ですか?僕は、正解なんてないと思います。自分が選んだ道を自分が納得できる解にしていくために全力で駆け抜けることで、検証していく。といことだと思います。選んだ選択肢は、現時点での自分の納得解にすぎず、それが正解かどうかを決めるのは自分です。もし、僕と同じようにやりたいことへの第一歩目で悩んでいる人がいるならば、このことを考えてみてください。どの道を選べば、あなたは後悔しませんか?踏み出すのはあなた自身ですが、僕の話が少しでも参考になれば幸いです。
-ありがとうございました!
…
冒頭でも書きましたが、西岡さんは私のインターン先の先輩でありました。インターンではみんな「こうきさん」と呼び親しんでいたのですが、辛いときや大変なときはいつも支えてくれていた頼もしい先輩です。
ここでは書ききれないほどたくさんの出来事や理不尽を経験してもなお強く立ち続けているこうきさんを見ていると、私ももっと頑張らないと と感じました。
【インタビュアー】草野晴菜 / タイガーモブ株式会社 インターン
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