TOP/海外インターン体験談(タイモブログ)を読む/ミャンマーの体験談:【インタビュー】女子大生、だからこそアジアへ!土肥眞麻さん
こんにちは。タイモブ草野です。
「トビタテ×海外インターン」企画第3回目、今回は土肥眞麻(どい まあさ)さんにお話を伺いました。
土肥さんは、トビタテの3期生としてミャンマーで7ヶ月間のインターンシップを経験。大変な過去にも折れず、それすらもバネにして今の活動に繋げています。
「“常に自分の憧れる自分にアップデートする“」
努力次第で、思い描いた自分になれるから、人生は面白い。
こんな、強い思いと行動力が分かるインタビューです。どうぞ。
※土肥さん。ミャンマーの水かけ祭りでの一枚。
|| 彼らの笑顔に助けられたから、恩返しがしたい。
-突然ですが、大学でビルマ語を専攻しているそうですね。なぜビルマ語だったのでしょうか?
理由は大きく3つあります。
1つ目は、英語だったら、誰にもできると思ったからです。
つまり、なりたい自分を考えたときに、「あなたがいてよかった」と言われる人間が良いと思いました。入試当時、願書を書いているときに、ちょうどミャンマーでアウンサンスーチーさんが軍事政権からおよそ20年ぶりに軟禁から解放されました。そして、今後ミャンマーが開けていくだろうということを知りました。今後、日系企業が参入していくときに、ビルマ語ができたら重宝されると思ったんです。
2つ目は、受験当時家庭が裕福ではなかったので、国公立しか受けることができませんでした。
もともと、埼玉の田んぼの中の中高一貫校に通っている、普通の学生でした。中学時代から勉強をほっぽりだして吹奏楽部で活動をしていたのですが、その吹奏楽部は高校生になると、部員みんなでウィーンに演奏旅行に行くんですね。それが本当に楽しみで。中学生のときはその演奏旅行のことしか頭にありませんでした。けれど、高校に入ってからリーマンショックの影響で家庭の経済状況が悪化し、部活が続けられなくなり、部活をやめてアルバイトを始めまるほどでした。
3つ目は、恩返しがしたかったからです。
-恩返し、ですか?
はい。中学の吹奏楽部から高校の吹奏楽部に行かなかった人は、100人超の部員の中で、私を入れて2人のみでした。「かわいそう」という目線を感じ、格差を感じました。なんで好きなことを思いっきりできる人がいる一方で、私は一生懸命お金を稼がなければいけないんだろうって。
でも勉強は頑張らなくちゃいけない、その反面早く家を支えたいという思いもあって。でも、中学で勉強してなかったから、初めて受けた外部模試は、英語の偏差値38。(爆笑)そんなときに世界史の資料集で、東南アジアの子たちがボロボロの服を着て笑っている写真を見かけました。新興国は、ともすれば「援助の対象」であり「かわいそう」という目線を向けられる国です。でも、彼らは私みたいに言い訳しないで、明るい未来があると信じて努力している。その子たちと比べたら、私はなんて夢のない人間なんだ!と恥ずかしくなりました。そして、その子たちと同じように自分の未来を信じて、勉強を頑張り始めた。高2の夏はほとんど遊ばず、朝6時-14時でバイト、そのあと予備校。そしたら、半年かかったけど、英語の偏差値が60になった。あ~、あの東南アジアの子たちのおかげだなって思いました。
それから、次第にその子たちのために、何をしたらいいか正しく理解したいと思うようになりました。だから、日本一の語学大学で少数言語を勉強したいと思ったんです。
辛いときに、彼らの笑顔に助けてもらったから、今度は自分が恩返しをしたかったんです。
|| ミャンマーについて、本当は何も知らなかった。
-助けてもらった恩返しって、とても素敵ですね。その方法がインターンシップだった理由が知りたいです。
それには、2つ理由があります。
1つ目、外大って現地大学への派遣留学があるんですが、規則が厳しくて。寮に入らなければいけないのと、そこの門限が夜6時だったため、あまり外部との交流も多くありません。もちろん、そういった環境だからこそ、ネイティブのように言語が使えるようになります。けれど、私が求めているものと少し違いました。私は自由に時間をアレンジして、現地の学生に限らず企業の方や、地元の人などもっと幅広い人と出会い、声を聞きたいと思っていました。
2つ目、大学3年生のときに、ミャンマーのことを何も知らないと痛感した経験があったからです。
当時、ビルマ語のできる学生としてスカウトされて、進出コンサルティング&リサーチの会社でインターンシップをしていました。そこで、ODAを考案する総合研究所の方と繋がりができ「ミャンマーのことをざっと教えてください」とご依頼を頂きました。得意気に現状のミャンマーのマーケットサイズなんかを話していたのですが、「では、今後のミャンマーの貧困層を救うために何が必要だと思いますか?」という質問にだけ、自信をもって答えられませんでした。自分が大学で一番学びたかったことであるにも関わらずです。悔しくて論文を読み漁ったりしましたが、腑に落ちて理解できなかった。だから、行くしかないなと思いました。
大学1年生から3年生まで大手の予備校で月100時間以上も勤務し、リーダーとしてバイトをまとめ、KPI管理をしたり、傍らで週200万のセールスを出したりと、自分はできる方の大学生だと思っていた中での出来事だったので、余計に悔しかったのかもしれません。
|| 「御社現地法人で私ができること」を社長にプレゼンした。
-週200万セールスは、客観的に見ても優秀だと思います。(笑) では、どうやってインターン先を見つけたのでしょうか?
現地の人の顔を見ず、彼らが求めていることを知れず、自分の将来の仕事、職場を決める自分に違和感を感じて、どうしても現地に行きたい!と思っていたので、インターン先の社長に「御社現地法人で土肥ができること」をパワーポイントにまとめてプレゼンしました。
大手企業で、ミャンマーに進出を検討している企業があったのですが、進出支援のためには様々な調査をしなくてはならないんですね。どうしようか、という話がでたときに、それ私が担当します!と、手を挙げた感じです。
でも、学生1人で駐在なんて、きっと渋られると思ったので、その理由づけは頭を悩ませました。
-インターンシップを取りに行ったという感じですね。現地では具体的にどのようなことに取り組んでいたか教えてください。
最初は、会社の現地法人の代表として日本人1人で駐在し、日系企業の提携先探しの案件を調査していました。ミャンマーは、現地に合弁会社を創らないと進出できないので、かなり重要な調査です。
少しして、職場でビルマ語で意思疎通ができるレベルになったので、ファミリー企業のITオフショアでマネジメントのお手伝いをしていました。
後者のお仕事は、ミャンマーにいるときに社長さんと面接したのですが、びっくりしたのが日本の予備校での「人を動かす」マネジメント経験を買われ、且つとても柔軟な方で、「指示は一々しないので、現状を見てどうしたらいいか考えて、報告して」という自由な働き方を許されたこと。インターンで「使われる」側になるか、「意見を言わせてもらう」側になるかは、実はそれまでどんなことをしてきたかがものをいうんだと、目からうろこでした。
※インターンシップ先の風景。言い訳をせずにこつこつやる姿を、今度は資料集でなく肉眼で見れました。
|| マニュアルがないことに、体当たりで取り組む日々。
-そんなインターンシップ中に経験した、印象に残っているエピソードについて教えてください。
2つあるのですが、1つ目は日系のメーカーさんのパートナー探しです。
プレゼンのやり方や、戦略の作り方の本はあるけれど、パートナー探しの本なんて紹介されたことがなく、やり方なんて分かりませんでした。そして、1社見つければ終わりという仕事でもありません。最低でも10社ほどはリストアップして、それらを比較検討しないといけません。
加えて、他の日系企業の進出の前例がない商品でした。
日系企業が求めているパートナー像と、現地企業の現実とのギャップに戸惑うことも多く、さらに本社からは絶対に目標を達成することを求められて、その板挟みに悩んだこともありました。滞在1カ月目。会社に来てくれるお手伝いさんとも満足に会話ができず、文化もわからず、認知度0の会社を売り込みに行っているのため、門前払いされることも多々ありました。
会社ができるって言っているのに、できないのは、自分のスキルや語学力が足りないからだと、本当に自信を失いました。
辛くて、大変で、「いっそやめてしまおうか。」そう考えながら寝た次の日、朝起きた瞬間になぜか「戦わなければ、勝てない」という進撃の巨人のフレーズが頭の中に浮かんできました。(笑)
負けるのは悔しい。勝つも負けるもやってみなきゃ分からない。まだ、私は挑戦していない。そこから、とにかくがむしゃらに、心を強く持ってパートナー企業を探し始めました。すると、次第に現地の人が情報を教えてくれるようになってきたんです。
あるとき、「今度新しくあなたが売り込む商品に特化したショッピングセンターを作る会社がある」という情報を教えてもらいました。
このチャンスは逃してはいけない!と思い、すぐに記者会見に足を運びました。日本人は一人もおらず、プレゼンもビルマ語。”希少性の高い情報を顧客に届けられる”と、嬉しくてドキドキしました。
すかさず連絡先を交換。日本本社に連絡。そして、先日実際に日本企業の商品をを置いてもらう運びになったと聞きました。
「一つ、社会のためになった」と、本当に嬉しかったです。予備校での週200万セールスは、研修や会議で上司が失敗しないよう守ってくれて、お膳立てしてくれたからこそできた1→100の仕事。対して、0→1の仕事を経験できたのが、このインターンシップだったと思います。
2つ目は、IT企業での出来事です。
オフショアの現場は、実は今世界で供給過剰です。そのため、生産性をあげなくてはいい仕事がなくなってしまいます。
インターン先の企業は、現地スタッフが20名ほどいたのですが、、取引先様から、彼らの作業品質について改善を求められているようで、日本の本社から「現場を直接見てきてほしい」と言われ、行くことになりました。
雇用を守るために、日々どうしたらいいか頭を悩ませて施策を打って、現地語でわかりやすい言葉にかみ砕いて現地スタッフたちに伝え、働き方を変えてもらっていました。3ヶ月ほど、通信インフラや停電など外部のトラブルと闘いながら、試行錯誤を続けました。日本とは全く勝手の違うことが多く、戸惑うこともありました。
それは日本式を取り入れる彼らも同じ。やはり、新しい取り組みで困惑してるかな、と心配をしていたのですが、その甲斐あって取引先様にも喜んで頂けるようになったある日、「会食あるから先に帰るね」と作業中の現地スタッフたちに声をかけたら、何名も顔をあげて「love you~♪bye!」って言ってくれた瞬間に、自分の想いが現地の働き方の文化を乗り越えたことが解り、移動中のタクシーで嬉し泣きしてしまいました。
※現地で出会ったタクシーの運ちゃん。ご、後光が…!
|| 経験は絶対に無駄にならない、ということ。
-努力が報われた瞬間だったんですね。その気持ちは分かるような気がします。そんな経験を通して、得られたことや、これからやりたいことについて教えて頂きたいです。
1つ目、改めて振り返って思うのは、日本での経験が生きているということです。
予備校でのアルバイト経験では、他のアルバイトの大学生をどうやって口説き、動かすのか、を学んだのですが、その経験がそのままミャンマーで活かすことができました。きっとこの経験がなかったら、伝わるまで伝える努力を怠り、現地でここまでやりきることはできなかったかもしれません。
そこから言えることは、日本でもできることは沢山ある ということと、日本式の働き方を知っていて、それをうまく伝えられる人だったら、大学生だとしても海外で重宝されるということです。
2つ目、現地の文化を乗り越えるミャンマー語が身についたことです。
ここで言う文化は、食べ物や慣習などではなくて、現地の人の働き方のことを指しています。例えば生産性。言葉で「生産性をあげよう」と言い続けても、その言葉に馴染みのない彼らはよく分からなくて、結局意味がありません。なぜそれが大事なのか、あなたにどんなメリットがあるのかについて、うまく噛み砕いてその良さを話すと、理解して動いてくださるようになりました。日本で学んだ伝え方ですが、海外でも通じるんだなと感じた経験です。
3つ目は、憧れられる人に出会えたこと、そして彼らとのコミュニケーションの仕方がうまくなったことです。
今までずっと、日本のなかで学生として自分はいけていると思っていたのですが、海外に行くとそこにいる大人も学生もすごくかっこいい。当たり前のように英語で戦っている人たちの姿を見て、自分の小ささと経験と知識のなさを身に染みて感じました。
それと同時に、彼らにうまく「甘える」ことができるようになりました。
私がとても尊敬している人に、ミャンマーの方と本気で向き合い、寄り添いながら仕事をしている商社の方がいます。その人に、異文化の中で自分がうまく立ち回れないと泣きながら相談したとき、泣いてしまう自分も恥ずかしかったのですが、そんな時に、「悔しがれないやつは成長できないから泣いていいんだ」という言葉をかけてもらったこともありました。
他にも、紹介しきれないほど、様々なお仕事をされている方から、一生忘れられないだろう、私の心の栄養剤のような言葉をたくさん頂いて、日々、戦うことができました。
ぶっちゃけると、女の子って東南アジアではすごく重宝していただけるんですよ。笑 「女子もいれておくか」の機会に対して女性の母数がすくないから、日本人が集まる会に呼んで頂けるんです。
だから必然的にたくさんの人と会う機会があるのですが、そうやって出会った方々を通して業界の雰囲気を知ることができました。お酒が入ると、人って素がでるじゃないですか。そんな時でも愚痴を言わない人は自分の仕事が本当に好きなんだろうって思えたし、「こうなりたい」と思える人にたくさん出会えました。逆に苦労話が多い人の業界は大変なんだろうなというのが、すごく分かります。
日本にいて、OB訪問をして得られる情報よりも、よりリアルな話を聞くことができたのは面白かったです。
こうやって、たくさんの人にお世話になったのですが、改めて思うのは発信しないと何も得られないし、せっかく海外に行ってこのような場にいても、ちょこんと座っているだけじゃ「海外に来て頑張っている子」としか認識してもらないということです。
手助けしてあげたいと思ってもらっていたとしても、こっちが何も発信しないんじゃ、何もできないのは当たり前ですよね。だから、どんどん発信して、アドバイスをもらおうとすることは、とても大切だと気づけました。
そして、そんな頼り甲斐のある、人に何かを与え、悩みを取り除いて幸せにできる大人に私もなりたいと思いました。
なので、将来は、今回の滞在で出会った『貧しい人たちに雇用をつくるビジネスをもっと広げたい!』という崇高な志を持ったミャンマーの事業家の方々に正しくアドバイスできる、頼り甲斐のある人になるために、多分野のビジネスのことを勉強できるお仕事をする!と決意しました。
-甘える、頼ることもある種スキルだなあと思いますね。そんな経験をしたミャンマーの魅力とは、どのようなものなのでしょうか?
やはり、人が優しくて、とってもおちゃめなところです。
驚くべきことに、ミャンマーは、寄付指数が世界一なんです。支援の対象と見られがちな国ですが、誰か困っている人がいると、じっとしていられない人たちばかり。例えば、日本から学生が来たら、「困ってない?大丈夫?」と、すごく気にかけてくれます。一度、タクシーにiPadを忘れてきてしまったことがあったんですが、タクシーの運ちゃんが届けてくれたことがありました。そのくらい素直で素敵な人たちなんですよね。
また、民主化して間もない国なので邦留人が少ないんですが、それが珍しくて彼らはつい声をかけてしまうようで。笑 とにかく“日本人”というだけですごく声をかけられます。孤独になりにくい国だなあと感じていました。
個人的に、現地で最も友達が作りやすい国なんじゃないかなと思っています。
※ミャンマーでシェアハウスをしていたメンバーの皆さん
|| ひとりじゃない、心強さ。
-話は変わりますが、改めてトビタテ生でよかったなあと思ったエピソードをぜひ教えてください。
3つあると感じています。
1つ目は、自分のしたいことを認めてもらったうえ、お金がもらえることです。
自分はお金をもらって活動しても良いと言われている人間なんだと思うと、自分に自信を持つことができます。加えて、お金をもらうことで気が引き締まるのも良いですね。自分の活動に投資してもらっているんだと思うと、その責任を強く感じます。
2つ目、様々なことを考える機会が多いことです。
留学前に実施する、ダボス会議に出席されているような方のお話が聞ける事前研修や、トビタテ生との交流を通して、自分はなぜ海外に行きたいんだろうかと考える機会がすごく多い。こういった機会がなかったら、違う視点から物事を考えることや、仲間を増やすことを深く考えることはなかったと思います。
3つ目、留学中、コミュニティがすごく心強かったことです。
トビタテ生としてミャンマーに行ったことで、すでに現地で活動をしている先輩から様々なことを教えてもらえました。先輩がいなかったら、私は現地でより一層戸惑っていたかもしれません。
また、同時期に留学しているトビタテ生とシェアハウスをしていたのですが、それぞれが「留学終わるまでにこういうことをやり遂げる!」と宣言して、それぞれが朝早くから夜遅くまで活動をしていたんですね。その姿を見てお互いに勇気をもらっていました。1人1カ月200ドルの長屋。ほんとに汚くて、まさかの肩にゴ●ちゃんが載った事件なども起こったけれど、やさしくて強い仲間といつも高めあっていたので、いつも心満たされていました。
|| 女子学生、だからこそ海外に出て!
-海外インターンシップを検討している人に向けて、一言お願いします!
こーんなに成功体験を書いているけれど、私自身、思い通りにいかないことが本当にたくさんありました。
留学前には、持病が悪化したことで学校に行ける時間が不規則になってしまって。先生の目が気になり、優秀な同級生の目が気になり、足が進まなくて、もう私はだめ人間なんだと思ったりもした。
当然、語学の勉強からも遠ざかった。
けれど、ミャンマーで優しい人たちに囲まれ、トビタテという応援してくれるコミュニティーに出会い、留学最後には、商談の通訳ができるレベルになりました。
その商談の通訳も、ミャンマーで大活躍されている弁護士の方に紹介して頂いた案件で。また、関係が希薄になりがちな帰国後も様々な方にミャンマー関連で「手伝って!」とお声がけをいただくことがあり、正直この上ない幸せを感じます。
置かれた場所で咲くのが理想ですが、もっといい環境があるなら、そこを選ばない理由はありません。頑張った積み重ねがあれば、求めてくれる人がいる。求められるから、頑張れる。そんな居場所は、絶対に、ある。
えっ、お金がないって?…何を隠そう、そんなあなたのためにトビタテはあるんだぜ、、、!
p.s.
女子大生、一カ月でいいから本気で英語を勉強して、東南アジアにでて欲しい。
かっこいい大人に見つけてもらいやすくなるから。
コリドー街で「いや~トイレでさぼってますよ~」っていってる営業マンによくわかんないナンパされて”one of 女子大生”の自分と、外国で異文化を乗り越えながら成功を積み重ねている人の野心を聞くことのできる自分。「後者になりたい」と思ったら挑戦してみてください。自分の可能性がどこまで広がっているか、分かると思うから。
-ありがとうございました!
…
正直、話を聞きながら涙ぐんだり、鳥肌が立ったりしていました。辛くて、逃げてしまいたくて、、、そんな時間を乗り越えて今の自分を掴みとっている様子がありありと理解できた時間だったと感じています。一言コメントするとしたら、彼女はもともと「いけてる大学生」だったけれど、海外インターンを経験することによって「自分の人生を生きる大学生」になったのではないかな、と言うことです。
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