TOP/海外インターン体験談(タイモブログ)を読む/マレーシアの体験談:マレーシアがなぜ多民族国家になったのか?
はじめまして、ゆかこです!
2月からマレーシアで日本語教育・翻訳のインターンシップに参加させていただきます。
昨年は大学4年を休学し、カナダへ語学留学をしつつ日本文化紹介などのボランティアをしておりましたが、
今度はボランティアとしてではなく、もっともっと自ら主体となれるような経験をしたい!との思いがありました。
学生最後の機会に念願かなってインターン参加!今ではワクワクドキドキの気分です!
今回、マレーシアへの渡航は2回目となります!
以前の旅行で訪れた時に感じたのは、多民族国家だなあということです。(感想というか印象そのままですね笑)
写真:https://ajwmy.com/blog/475
マレーシアの民族は、
三大民族である、マレー系(約65%)、華人系(約24%)、インド系(約8%)
そのほか、少数民族や、混血グループがいくつも存在しています。
日本は、同一民族が人口の95%以上を占める国と言われ、
その点で日本とマレーシアはほぼ対照的であると言えますね!
今回は、マレーシアがなぜ、多民族国家になったのか?
その歴史的背景について少し調べてみました。
マレーシアは東西交易の中継点という地理的特性から、
アジアだけでなくヨーロッパの各国がマレーシアを拠点に貿易や布教活動を押しすすめました。
その結果、キリスト教をはじめとするヨーロッパの文化までもが根付き、多文化が共生する国になったと言われています。
マレーシアで最初の王国が築かれたのは14世紀末です。
インドネシア・スマトラ島の王子パメスワラにより建国されたマラッカ王国は商港として大きく発展し、
ペルシャやアラブからやってきたイスラム教徒の影響を受け、イスラム教を積極的に受け入れていきました。
その後、16世紀には、マラッカを香辛料の交易およびキリスト教の布教の拠点として重視したポルトガルが占領、
17世紀には、オランダがポルトガルを駆逐し、マラッカはオランダ領となります。
19世紀になると、アジアに進出していたイギリスがオランダと協定を結び、マラッカ海峡をはさみ東側(現:マレーシア)をイギリス領、そして西側(現:インドネシア)がオランダ領となりました。
太平洋戦争後はイギリス領に復帰するも、マレー民族の反乱がおこり、1963年にマレーシア連邦が成立。
1965年にはシンガポールが独立し、現在のマレーシアが形成されました。
このような歴史的背景からも、マレーシアは、
複数の異なる宗教や文化の影響を受けながら今に至ったことがわかります!
しかしながら、それは、文化がミックスされているというよりかは、
異なる文化が共存しているという言葉に近いのではないかと思います。
写真:https://sfa-malaysia.com/2017/11/03/malaysia-manners/
近年では日本にも、海外からの移民が増えつつあり、
マレーシアのような多民族国家に学ぶことが多くありそうな気がしました。
インターンに参加させていただけることへの感謝を忘れずに、頑張ってきます!!
最後までお付き合いいただきありがとうございました^^
<出典>
https://www.jtb.co.jp/kaigai_guide/report/MY/2015/03/ancient.html(1/19閲覧)
ゆかこ
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