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ホーおじさんの博物館―ホーチミン博物館

大川満利絵@ベトナム
  • 2016/08/29 00:00
  • ベトナム
  • 企画・マーケティング
  • インターン中

こんにちは!ホーチミンでインターン中のおおかわです。

 

テーマは、ホーチミン博物館について。

 

ホーチミン博物館は、ホーチミン中心部から少し歩いたサイゴン川沿いにあります。

 

 

博物館は、3階まで展示が行われていて、名前の通り彼の軌跡を紹介しています。

 

ホーチミンと書いていますが、実際の表記は、ホー・チ・ミン(Hồ Chí Minh、胡志明)

政治活動を行う際にはグエン・アイ・クォック(阮愛國)という偽名を用いることもあったようです。

 

ベトナム国内の愛称はホーおじさん(Bác Hồ)

 

ベトナムを独立に導いた政治家として国内外で非常に有名な人物です。

 

 

 

 

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◆博物館へ行く人必読!―革命家ホー・チ・ミンの生涯 

 

ベトナムでの少年時代

 

1890年、貧しい儒教学者の家に生まれたホー・チ・ミン。

 

学生の間は、父の助言もあり中国語に加え、その当時支配していた宗主国の言語フランス語も学んでいます。

 

そして1911年、21歳になったホー・チ・ミンは海外へ飛び出します。

 

それから彼が祖国ベトナムに帰ってくるのはおよそ30年も後の話になります。

 

 

30年間の海外生活

 

当初フランスの南部マルセイユに留学する予定でしたが、学校への入学を拒否されたことをきっかけに、

ヨーロッパやアフリカ、南米諸国を船員として巡り、

その後ニューヨークに渡り単純労働者として数か月働きました。

そして23歳の時、英語を学ぶためイギリスへ、その4年後にはパリへ渡ります。

 

 

同じころ、ロシア革命が起こりました。

ロシア革命の指導者、レーニンの思想に感銘を受けたホー・チ・ミンは、パリでの政治活動を本格化させます。

 

1910-20年代のロシア革命や第一次世界大戦の時期、共産主義思想の広まりとともに、

民族自決、今まで植民地であった国々で独立の機運が高まっていました。

 

ホー・チ・ミンも祖国ベトナムの独立を第一に掲げて活動を続け、1923年にはロシアに渡ります。

 

しかし、このような彼の活動は、もちろん資本主義陣営に歓迎されないどころか、

味方であるはずの共産主義陣営にも良く思われないことも多かったのです。

 

国の共産化を強く押し進めるのではなく、あくまでも民族自決に重点を置く彼の主張は、

穏健派として共産主義グループ内でも邪険に扱われることもありました。

 

事実、ホー・チ・ミンは、あらゆる国からの拘束を受けました。

香港でイギリス警察に逮捕され牢獄で1年半、ロシアの再教育施設で4年間過ごし、

中国で拘束され13か月間各地の牢獄を転々としたこともありました。

 

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ベトナム独立へ

 

1939年、49歳の時ベトナムに帰国したホー・チ・ミンは、ベトナム北部でベトナム独立同盟を結成しました。

 

そして第2次世界大戦後、ベトナムを占領していた日本軍の撤退も受けて、

1945年9月2日、ベトナム独立宣言を発表します。

その後の宗主国フランスとのインドシナ戦争を指揮し、勝利を収めます。

 

続いて起こったベトナム戦争では、政治の一線は退きましたが、

豊富な海外経験と人脈を活かし、ベトナムの外交の顔として活躍し、

一方で国家主席としてラジオ放送や集会の場に登場し国民を鼓舞し続けました。

 

 

 

 

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突然の死

 

しかし、ベトナム戦争の終結直前、

南北統一を待たずして、突然の心臓発作で亡くなってしまいます。79歳でした。

 

ベトナム戦争後、政府は彼の功績を称え、南軍の拠点であったサイゴンをホーチミンに改称しました。

 

国を独立へと導いた功労と、生涯粛清を貫き、国民に分け隔てなく優しく接する温厚な人柄で、

今でもホー・チ・ミンはベトナム国民に愛されている人物です。

 

 

 

と、

 

ホー・チ・ミンの説明を詳しく書くのには理由があります。

 

 

博物館自体が現地の人向けなので、割と重要そうな解説がほとんどベトナム語のみ!!

 

なんて書いてるのかよくわからない!!

 

ホー・チ・ミンさんの背景知識を全く入れていなかった私にはかなり苦しかったです。

 

それでも、写真や実物の展示などが多く、理解がしやすい展示になっていたので、

皆さんは行かれる前にちゃんとここで少し予習すると、とても見やすくなると思います!(笑)

 

 

 

 

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みんなこの像の前で集合写真を撮るのがお決まりのようです

 

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瞳孔が開ききっている謎のペンギンさんゴミ箱

 

◆ほのぼのとした雰囲気の博物館

 

 

ホー・チ・ミンの死後、火葬を望んでいた彼の遺言を無視して

政府がエンバーミング(永久保存)を施し、ハノイのホーチミン廟に安置しました。

火葬を希望したのは、ホー・チ・ミンが自身の個人崇拝を嫌ったためだと言われています。

確かにホーチミン博物館は、普通の博物館より銅像が多い気がするし、

銅像に加えて立派な廟があるなど、少し個人崇拝の雰囲気を感じる部分はありました。

指導者を崇拝の対象にするのは、共産主義国の常なのでしょうか。

 

 

ただ、個人的には、中国・北京の天安門広場にある

毛沢東の廟(毛沢東のミイラに謁見できます)はめちゃくちゃ大きく、

しかも警備が異常に物々しくて、震え上がった経験があるので、

川沿いにひっそりと佇むホーチミン博物館は何の圧迫感も感じませんでした。

 

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中国・北京にある毛沢東の廟、毛主席紀念堂。目の前は柵で、カメラの外側には銃を持った警官がたくさんいました。

 

ホーチミン博物館で働いている方たちはみんな笑顔で迎えてくれるし、

その辺のおっちゃん2人がお茶飲みながら、えっちらおっちら博物館の壁紙を剥がして変えているのを

目撃していたので、私には平和な気持ちしか生まれませんでした。

 

 

彼がベトナムに残した功績を考えると、博物館がもう少し威張った感じでもバチはあたらない気はしますし、

こういう文化的な施設があることが、後の世代が歴史を知る機会を得ることにもつながります。

実際、ベトナムの学生グループが何組かメモを持って博物館に訪れていました。

 

いつか、ハノイにあるホーチミン廟とホーチミン博物館にも行ってみたいです。

 

 

 

 

 

 

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ホーチミンのホーチミン博物館は、内容もさることながら、

サイゴン川がちょうど開けたところにあり

川の穏やかな流れを感じつつ、対岸には建設中の高層ビル群が見えと、

ホーチミンのさまざまな部分が見られるスポットとしてもおすすめです(^-^)

大川満利絵@ベトナム

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