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日本人が知らないスリランカ内戦と日本の関係をご紹介

なおき
  • 2019/04/01 23:53
  • スリランカ
  • 営業,企画・マーケティング
  • インターン前

どうもみなさんこんにちは、なおきです。
僕はこの春からスリランカという国でインターン生として活動します。
とはいえ、スリランカと聞いてもピンとこない人がほとんどではないでしょうか。

紅茶やビーチの印象が強いスリランカですが、実はほんの10年前に内戦が終結した国なのです。

その内戦の終結に、日本が大きく関わっていることをご存知でしょうか。

今回は、スリランカの内戦と日本の関係をご紹介していきます。

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1.スリランカ内戦とは

 

スリランカの内戦は、「シンハラ人」と「タミル人」という2つの民族の争いと言えます。
そもそもスリランカは、多数派を占めるシンハラ人と少数派のタミル人やムーア人が混在する多民族国家です。

その歴史は古く、シンハラ人は紀元前480年頃、タミル人は紀元前2世紀頃にスリランカに渡来したと言われています。

では、なぜこの2つの民族が対立するようになったのでしょうか。

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1-1.2つの民族の対立の発端

その発端は、大航海時代の欧米列強による植民地支配にあるとされています。

ポルトガルやオランダの来航の後、1815年にスリランカはイギリスの支配下に置かれました。

そのとき、イギリスは、少数派のタミル人に多数派のシンハラ人を統治させる「分割統治」を行いました。

この政策によって、スリランカでは、富めるタミル人と貧しいシンハラ人との格差が生まれるようになったのです。

 

1948年の独立後、その対立は激化の一途をたどりました。

多数派のシンハラ人の支持政党が政権を勝ち取り、これまで虐げられてきたシンハラ人を優遇し、タミル人を迫害するような政策を打ち出すようになったからです。

 

1-2.内戦の勃発

シンハラ人の優遇政策が続けられる中、1972年にはそれまでの少数派保護の条項を無視した新憲法を発布。

これに、タミル人が猛反発し、タミル人による武装勢力「LTTE(タミル・イーラム解放の虎)」が発足されます。

そして、1983年、スリランカは26年にわたる内戦状態に突入します。

きっかけは、タミル人によるシンハラ人兵士への殺害事件でしたが、シンハラ人の政策による経済不安が大きな不満因子となっていたでしょう。

 

1-3. 長引く内戦の終結

その後、内戦は全土に広がり、シンハラ人の政府軍とタミル人によるLTTEとの戦闘が激化します。

その影響で多くのタミル人難民が北米、欧米、東南アジアを中心に逃げます。

1980年代後期になって、インドが平和維持軍を投入しますが、90年に撤退。

 

2002年、ノルウェーの仲介によってようやく一時停戦合意が結ばれます。

全面的な戦闘状態は停止しましたが、その後もLTTEによるテロや殺害事件は後を絶ちませんでした。

その後、2008年には急進的なシンハラ人が大統領になると再び戦闘状態へ。

 

2009年、LTTEの議長が戦闘で死亡したことを皮切りにようやく内戦が終結します。

結果的に、26年にもわたる内戦で死者は7万人を超え、数十万もの難民を生みました。

 


 

2.スリランカと日本の関係

さて、ここまでスリランカ内戦の概略を簡単に述べましたが、多くの方が知らなかったことではないでしょうか。

実は、内戦中の仲介、内戦後も日本はスリランカの復興に大きな役割を果たしているのです。

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2-1.スリランカ内戦の終結と日本

2002年の停戦合意後、日本は当時国連事務次長だった明石氏をスリランカに複数回派遣し、終戦まではたらきかけてきました。

また、2003年には、箱根で和平交渉を行い、同年6月には「スリランカ復興開発に関する会議」を東京で開催しました。

このように、日本はスリランカ内戦の終戦に大きな役割を果たしてきました。

 

2-2.70年前に日本を救ったスリランカ

そんなつい10年ほど前に内戦を終えたスリランカですが、実は70年前に日本を救ったという事実をご存知の方は少ないのではないでしょうか。

約70年前、ご存知の通り、日本は無謀にもアメリカに戦争を挑み、多くの悲劇を生みました。

 

スリランカが日本を救ったのは、全国が焦土と化した敗戦後の日本の処遇を決めるサンフランシスコ講和会議でのことです。

当時、日本は各国から激しい非難を受け、多額の賠償金や分割統治までも考えられていました。

そんなとき、当時のスリランカ代表として登壇した、後の大統領となるジャヤワルダナ氏の演説によって、その風向きは大きく変わりました。

その有名な名演説は、「憎しみは憎しみによって消えず、愛することによって消える」といった、各国の過剰なまでの日本への制裁を諫めるような内容でした。

 

とはいえ、当時小国だったスリランカ。

ソ連や米国、イギリスなどといった大国が出席する会議の中でどれほど発言力があったかは分かりませんが、結果的に分割統治や多額の賠償金が避けられたことは事実です。

彼の演説の内容は、ともすれば当時の日本の侵略を正当化するように聞こえるかもしれませんが、日本に対する正当な敗戦処理を促したことは確かでしょう。

 


 

3.最後に

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今回は、日本人にあまり知られていないスリランカと日本の関係についてご紹介しました。

私たち日本人に欠かせない「午後の紅茶」の産地として、また美しいビーチのある観光地として、有名なスリランカ。

しかし、その裏には26年にもわたる激しい内戦があったことを忘れてはいけません。

また、70年にも渡るスリランカと日本の親交も知っておくべきでしょう。

今回は簡単にスリランカ内戦と日本の関係をご紹介しましたが、ご興味のある方はさらに深く調べてみてはいかがでしょうか。

長くなりましたが、最後まで読んで頂きありがとうございました。

なおき

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